「バッチ源流を訪ねる旅」報告会を行いました

皆さま、こんにちは。
朝晩に寒さを感じるようになりました。季節はこれから紅葉の時期。
木々の葉が色づく美しい季節が訪れますね。
かなり遅いご報告になるのですが・・・
9月の読書会が行われた日、バッチホリスティック研究会主催の「英国にバッチフラワーのルーツを訪ねる旅」に参加したメンバーより旅の様子を知らせてもらう報告会を開きました。
「博士の遺産」の読書会を重ねてきた私たちはバッチ博士ゆかりの地を目の当たりにしてきたメンバーの報告に興味津々!
このツアーのメインは「バッチセンター見学」とレメディを製造している「ネルソン社工場見学」ですがそれに加え、我がBFRP東海メンバーはバッチ博士が住んでいた海辺の町「クローマー」も訪ねて来ました。
英国を訪れたのは6月30日から7月3日の4日間。
雨が多かったこの頃でしたが、メンバーが滞在したときは天気が良かったとのことでした。
(参加したメンバーの日頃の行いが良かったからでしょうか)
最初に訪れたのはオックスフォードシャーのウォリングフォード郊外、ソットウェルという村にあるバッチセンター。
その歴史をバッチ・センター代表 ステファン・ボールさんとジュディ・ハワードさんから伺い、それを熱心にメモしてきたメンバーからセンターができた当初から現在に至るまでの流れを聞くことができました。
バッチ・センターは博士の遺した理念を忠実に守ろうとしていること。
レメディが多くの人に必要とされるなか量産のためにボトリングの工程を
ネルソン社に委託したこと。
それにともないバッチ・センターの役割もバッチ博士の哲学、理念を伝える
教育の場と変わってきたこと。
また、この貴重な機会に直接質問する時間もあり、お2人は誠実かつ丁寧に答えてくださったそうです。
(世界に広がるレメディ、またそれを使うプラクティショナーもさまざまで国民性が出ているとの話には会場から笑いの声も・・・)
次に訪れたネルソン社の工場では製造過程を見学。
清潔な工場内で作られるレメディは70ヶ国あまりに送り出されるそうです。
その中でも一番人気はやはり「レスキューレメディ」。
レスキューレメディの出荷量が右肩上がりになる一方、他のレメディはそれほど生産量が増えていない・・・というお話を聞たとき、少し複雑な気持ちになりました。
最後に訪れた海沿いの町 クローマー。
駆け足で訪れたこの町で博士は1931年から1934年まで1年のうちの数ヶ月を暮らしていたということです。
発表の中ではこんなエピソードも披露されました。
バッチ博士が住んでいた海沿いの街、クローマーではこのような伝説?が語り継がれているそうです。
荒れた海に出て難破した船に乗っていた船員を救助したとき、気を失った男性にレメディを与えたところ彼は意識を取り戻し、何ごともなかったかのように「煙草を一本くれないか?」と言ったそうです。
このエピソードは今も町に住む人の知るところで、町の記念館に飾られていた博士の写真を見ていたメンバーにたまたま近くにいた地元の人がこの話を教えてくれたそうです。
バッチセンターの庭のイラストを描いて庭の様子を知らせてくれる発表もあり、あっという間に終わった報告会。
その中で、ステファン・ボールさんが語ったという
――― 「レメディを求める人たちへ届けてほしい」
この言葉が私は心に残りました。
レメディにお世話になっている者にとっては一度は訪れたいバッチセンター。
次に訪れるのはあなた・・・! かもしれませんね。
tano

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